まるはちブログ

東京からパリへ。次へ!というより一回休む、かなぁ。

リソース(資源)は大切に。

日曜から月曜にかけて千葉の方に出かけてきた。ほっとくと何か知ら予定が入ってしまうので、出かける日は早めに決めて空けておかないといけないなと感じた。29日もTokyo Startup Gatewayのプレイベントみたいなやつがあって、少しだけ心惹かれていた。

今週はSkyland Venturesが6日連続でmeetupをやっているようなので空いている日に行ってみたいなと思う。期末で試験とレポートが待っているけれど。


計画性がないのもいけないのだけれど、こういうレポート締め切りの近くとか、試験の近くとかなると、授業終わったら図書館でレポートをひたすら書かなきゃいけなかったり、電車の中でも勉強しなきゃならなくなったりして、自発的な頭の使い方をする余裕がなくなってしまう。

そういう意味で作業、タスクというのは思考停止を生むものだなと思う。それをやっている間はほかのことを何も考えなくてよくなってしまうので。目先の消化すべきことばかりやっていて、じっくり考えるという時間が無くなると、全然頭使えないし、何も成長しない気がする。与えられたものをこなすことで得られる成長はもちろんあると思うけど。

 

だから忙しくてほかのこと考える余裕が全然ないという状態にならずに、適度な余裕を持たないと逆に忙しいだけのバカになってしまいそうだ。自分で頭を動かすことを意識しないとな。

 


最近、就活というワードをよく目にする。僕の高校同期は4年生だし、大学の同期もインターンとか始まる時期である。facebookでも就活の広告が多いし、ほとんど開かないけどtwitterも開くと就活のことを書いている人がいる。

自分も自分の始めた会社でずっとやるのか、それとも卒業したら外で働くのか、まだ決まってない。外に出るとしたら、それは自分が事業をやるための武器を手に入れるために会社で働くということになるので、どんな問題があるのかを探るために病院や薬局で働くか、自分のやりたいことに近いことをやっている会社で学ぶか、といったところかなと思う。

 

ただ、就活というのはやらずに働きたいものだなと思う。働く先を見つけるためにみんなと一緒に、よーいどんで応募して面接受けて、なんて双方にとって非常に無意味な時間の使い方な気がする。就活って社会に対してなにかを提供するわけじゃないので、そんな活動のために毎日毎日時間使って、一緒に働くわけでもない人事の人と評価されるためだけに面接するとか、無駄な時間だなと思ってしまう。そんな時間あったらバイトする方が社会にメリット与えてると思うし、僕は働き口探すためにそんなに時間を使わなきゃならないんだったら自分のやりたいことを自分でやる気がする。会社としても何千枚とかいうエントリーシートを読む時間があったら他にそのリソースさけよ、という感じである。採用のために10人使ってたらそれだけで年間5000万とか使ってることになる。

 

大学4年生になって、試験と面接で採用を決めるとかいう旧時代的な慣習は消えてなくなればいいのになと。平均値として優秀な高学歴の人をバーッと採用して、みたいな時代は終わりを迎えて、個々のばらつきを重視する時代になってきていると思う。就活という制度は明らかに前者の時代に適応したものだと思う。企業は盛んに人材はダイバーシティの時代だとか言いながら、採用では依然として平均値を上げるための制度を取り続けている。そもそも試験とか面接とかは実際仕事に必要な能力を見ることはできず、試験ができてるから仕事もできるだろうという、これまた個人の能力の平均値を見ているに過ぎないのではないか。

 

均一な「優秀そう」な集団を作るのではなく、個々の能力が光る組織にするためには何が必要か?また、その会社にとって必要な、試験の成績ではない一つ一つの能力を見るためにはどうしたらいいか?

 

それはやはり、「一緒に働いてみる」ことに尽きるのではないかな。一週間でも一か月でもアルバイトとして学生がその会社で働いて、そこで一緒に事業をやる中で能力を見たらいいと思う。書類に書いてある志望理由を読んで、面接をして、試験をして、なんてやるよりも、短い期間でも一緒に働いて実際に仕事をする中での能力を見た方が圧倒的に合理的だし、個人個人の、個々の能力を図ることができるはず。それと、なぜ4年生にならないと始めちゃいけないのか。別に働く意欲があるんだったら3年でも1年でもエントリーさせて、バイトとして働いてもらって、評価してもいいんじゃないだろうか。学生としても、職探しの無意味な時間を過ごすことなく、バイトとして稼ぎつつ、会社との相性が見れるし、社会全体で見たら就活より圧倒的にリソースを有効活用していることになる。

 

行政の縦割り問題に対する横断的な組織の設置とか、学部ごとに領域が分かれすぎたことに対する学際的研究の実施とかと似ている。今の状況では、大学と会社に果てしない溝がある。大学は研究者を育てるための機関だったころはそれでもよかったかもしれない(いつの時代だよ)。今は大学に残る人はほんのわずかで、みんな就職していく。その時代にあって、大学は学問的探究の場でありうんぬん、というのは明らかに大学の上の方のおじいさんたちの感覚でしかない。その人たちは確かに大学で研究を学び、それを大学で生かして職業としているからそう思うのだろう。今、大学と会社は領域を融合させていって、大学生のころから働くという形がもっと普及していっていいはずである。そうしないと、大学の教育はいつまでたっても「大学でやった授業なんて一つも覚えてませんね。」といわれ続けるのだ。

企業が個々人のばらつきの部分を重視できるような制度、学生が無意味な活動に一年間従事しなくてもいい制度が広まるといいと思う。なにより、何のプロフィットももたらさない活動に学生・社会が莫大なリソースをさき続けるのは全体にとって大きなマイナスであるはず。