まるはちブログ

東京からパリへ。次へ!というより一回休む、かなぁ。

バルカン旅行

旅程

1/14夜 パリ→イスタンブール

1/27夕方 ブダペスト→パリ

14日間でトルコからハンガリーまでの間の国(主にバルカン半島の国々)を周った。訪れた国は、トルコ、ブルガリアマケドニアコソボアルバニアモンテネグロクロアチアボスニア・ヘルツェゴビナセルビアハンガリーの10カ国。ほぼ毎日国境を超えてバス移動していたのでだいぶ大変な旅だった。

移動手段は、パリ→イスタンブール、トルコ→ブルガリアセルビアハンガリーが夜間で、あとは昼間のバスだった。夜行バスとか夜行列車は非常にしんどいということが身にしみてわかった。

線引きできないバルカン

陸に引かれる国境線

国境を陸路で越えることが多い(というかそのほうが普通)なヨーロッパを旅行すると、国境は非常に不思議な線だなと感じる。特にストラスブールの東のフランスードイツ国境を歩いて渡ったときに強く感じた。EUがある今ではフランスードイツ国境なんてただの小さな川にかかった橋に過ぎず、そこに"国"を感じさせるものはなにもない。でも統治の力は末端の末端まで行き届いていて、川のあちらとこちらでは話す言葉も雰囲気も違う。

"国"という言葉から連想されるものはまず旗だけど、その次くらいに国の形があると思う。日本ならあの長細い形だし、フランスだと"hexagone(六角形)"が"フランス"の同義語として使われる。そのイメージが強いので国は地理的に成り立って、その土地に住む人が"国民"になるのだという印象を持っていた。でも実際にその"hexagone"の外周の線に行ってみるとそこには地理的にドイツとフランスを区別する特徴はない。セーヌ川の右岸と左岸くらいの分離でしかない。人が住んでいなかったらそこは単なる小さな川としか認識されないと思う。と考えると順序は逆で、"国"や"国民"という概念が先にあって、フランス国民が住むエリアが線引され、フランスの六角形を作っているというのが正しい気がする。川のこっち側だからフランス、なのではなくて、フランス国家の支配を受けたフランス国民が住んでいるからここまでがフランス、なのだ。

所詮人間が影響を与えられるのは人間だけなので、国の統治機構が支配できるのも人間だけ。その土地の人に強制/教育して国民としてのアイデンティティを持たせ、軒先にフランス国旗を掲げさせることで初めてそこがフランスになるのだなと感じた。国という概念は自然の土地の上に薄ーくかかった人工的なレイヤーに過ぎなくて、衛星写真で見たら国なんて全く判別できないのである。樹木の生育地帯、犬の縄張り、細菌叢など、土地の上には無数の地図のレイヤーがあって、人間の国家もそのうちの一つに過ぎない。中世なら城壁、現代なら国境線、あるいは民家のブロック塀もそうかも知れないけど、人が躍起になって自分の領域に沿って物理的な障壁を設けるのは、自分の領域という自分の存続に関わる概念が、人間の考えついた貧弱な概念であることを恐れているからなのかもしれない。壁を作って、「ほらね、見ての通りこっちは私の領域でそっちがあなたの領域だ」と言えるようにしないと"自分の土地"という概念の存続が危ぶまれるからだろう。そもそも"自分の土地"ではないのだから。近隣との関係性の中で国家が安定していると物理的な障壁の重要性が薄れ、国家のアイデンティティが脆弱なときには尊大な壁を作るのは、たぶんそういうことだろう。

バルカン半島に引かれた国境

バルカン半島オスマン帝国の解体以降、何度も戦争が起きている。ダイバーシティが盛んに称賛されている現代の視点から見ると、オスマン帝国は非常に"現代的"な国家だった(近代が"現代"だった時代には非常に前時代的な国家とみなされていたはずだけど)。それゆえに民族分布はまだら模様のようになっていて、特にスラブ人とオスマン帝国の間で取り合いが続いたバルカン半島では様々な民族が共存する社会が成り立っていた。民族間の差異が統治と結びついていない時代には衝突も少なかったようだが、オスマンが解体され、そこに民族国家という概念が西欧から流入すると昨日までの隣人が突如として敵と化す(文字通り隣人同士で銃を取り合った地域もあったそう)。こうしてバルカンでは多様性の許容から同質性の追求へと意識が変化して線引きと民族浄化が繰り返されることになる。

各所での紛争の結果、ユーゴスラビアは解散して今の国境線が確定している。その過程は血みどろで、ボスニアではセルビア人によるボスニア人の虐殺(スレプレニツァの虐殺)が起き、逆にコソボではセルビア人が迫害されて追放されている。対立する民族に対する感情が未だに激しいと感じたのはまずボスニア・ヘルツェゴビナで、セルビアコソボ問題で対立が激しかった。

国境線が引かれ、国が分けられたわけだが、結果的にそれが幸せだったのかはよくわからない。サラエボの人道の罪に関する云々の博物館にあった作品が印象に残った。木の下で人が物思いに耽るという作品だったのだが、そのキャプションには「戦争で荒れた土地がもとと同じに戻ることはないように、戦争が終わっても人の心には戦争の傷跡が残り続ける」と書かれていた。民族による国が形成され、バルカン半島に多数の国境線ができたが、彼らの持つ"国家"の概念の裏には殺し殺された記憶がつきまとい、その記憶ゆえに国は対立し、国境を大きな壁で固めなければならないのかもしれない。

行く前に水脈速みを改めて聴いて、さぞきれいな土地なんだろうなと思って行ったのだけれど、雪をかぶった険しい山もそこを流れる鮮やかな緑色のきれいな川も山の直ぐ側に広がる海も、予想以上に美しかった。移動中に見る美しい景色と、到着した都市で見る戦争の歴史のコントラストが強烈で、水脈速みの訳分かんないくらい強烈なコントラストはまさにこれを表現してたんだなぁと感じた。

東京を離れてパリへ、ということ

とりあえず、今思うこと

友人に社基からの留学生を紹介してもらってぐだぐだと昼ごはんを作り、夜9時までぐだぐだと話していた。最初はわりと変わった人だなと思った。抽象的な話を好んで、特に自分の心情や行動を客観視している感じ。東大では(特に変わったことしている人界隈では)たまに出会うタイプだけど、出会ってすぐに「なるほどそういう感じの人か」と感じたのが正直な第一印象。

だけど、その後彼のフランスに来てからの心の動きや哲学を聞いているうちに、ここまで自分を見つめられる強さは尊敬するなと思った。と同時に自分は自分を見ようとしていないし、彼の言葉で言う「裸になる」ことは誰に対してもできていないと感じた。深い友達関係や素直な感情表現が苦手なのも、自分を自分にも隠しているということだなと。そして、フランスに居るこの時間を、ベタな表現で言えば、自分と向き合うことに使うのは大きな転機になる気がした。

どうなるのかは全くわからないけど、これからはパリに居る時間を使って、自分の気持ちから逃げずにそれを認識しようと思った。特に、「自分は何をしたいのか」という問いには向き合う必要がある。

フランスに来てからの変化?

今日の話でふと口をついて出てきて、なるほどと思ったことがあった。フランスに来てから変わったことはなにか、という質問に、自分のしたいことを考える時間が増えた、と答えたこと。高々一ヶ月では深い変化は感じていなかったので正直答えに窮したが、明らかに「ここに何をしに来たのか?これから何をするのか?」という問いは常に自分にのしかかっていた。そして、就活という話も入ってくると「将来何をするのか」という問いもある。これらを嫌でも意識し、(美化しなければ)目的も手段も明確でない留学に突入している自分に嫌気がさす瞬間も正直あったわけで。フランスで人と初めて会えば当然聞かれる、「なんで留学したの?」という質問に答えるときの感情は、研究のプレゼンをするときに似ている気がする。自分は自分の話すことの重大なもろい核心を知っていて、それを突かれないかビクビクしてるという感じ。

本論と矛盾するけど目的が明確じゃない留学をするってのは別に悪くはないと思う。目的、というか意味を探し続けて留学生活を送るのは真っ当だし、ESに書くようなきれいな目的をきれいに遂行するのは面白くない、と思うから。留学が終わるときか、帰ってからその意味が浮かび上がってくれば上出来だと思う。少なくとも論理より好奇心を優先する自分の場合、今までしてきた決断は後から意味が生まれている。そしてその意味は意外と論理的な説明ができている。そもそも脈略のないところに好奇心はわかないから、必然的につながるのである、と信じたい。

それは今はわからないので書くだけで深く考えないとして、自分への疑問みたいな思いはこれまでの自分は全く意識することが無かった。おそらく後述する理由で、目を向けなくていい生活を送っていたからだと思う。この、今までの自分は感じることのなかった「自分への疑問」を感じるようになったのは、今のところ、フランスに来てからの変化である。

 東京から10,000km離れる、ということ

こういう変化が生まれたのはなぜか、と考えてみる。結構自明に「東京を離れたから」である。きっちり論理的に言うなら、生活、勉強、趣味、友達、恋人すべての基盤だった東京を離れたことによって、東京で発生していたすべての広い意味での人間関係が突然ほぼゼロになったからである。

東京にいたときは、(東京にいる人の多くが病的に多分そうだけど)、端的に忙しかった。朝には大学やらに出て、夕方以降は課外プログラムやら研究室やら飲み会やらがあり、家に帰ればすぐに寝る。休日も何かしら予定があるのが普通で、休日は別に休日ではなく、何か他のことをする日、だった。あと、(とても幸せなことに)彼女が近くにいたわけで、早く帰ったとしても一緒に料理なり吉祥寺で飲むなりできた。

という生活だと日々何をやるかは自動的に決まっていき、google calendarが埋まり、「さて何をしようか」という瞬間はほぼ無かった。否定的な意味では決して無いけど、東京にいる間は様々な人間関係によって時間は考える間もなく自動的に消えていった。

ただ留学が始まって東京から1万km離れると、当然東京の人間との飲み会もセミナーもバイトも課外もなくなる。となると凄まじい可処分時間的なものが発生して、その時間をどう使うかを「考える」必要が生まれた。で、いざ「何をしようか」と一人で考え始めると、「そもそも自分はここで何をするのか」という根本的なところまで問いが連鎖してくる。

という感じで、すべての人間関係とか社会的な関係性から突然切り離されて、新しい土地で生活し始めたことによって、否が応でも「さて、何をしようか?」ということを考えなきゃならなくなった。多分時間はたくさんあるので、自分の留学の意味を探しながら行動していきたいなあと。

自分の意見を言葉にする

こういう形で文章を書こうと思ったのは、自分自身のことを考えて文字にしようと考えたからという理由と、訓練として自分の意見を言語化しようと思ったという理由がある。よく言われることだが、フランスでは個人の意見を持つことが求められる。まあフランスに限ったことでは全く無いだろうけど。何度か「これについてどう思う?」と聞かれて、「うわ、考えたことなかったな」という経験をしたので、情報をインプットして満足するんじゃなくて、「それに対してお前はどう思うのよ?」という部分まで頭を使いたいなと。日々、考えたことをちょこちょこ言葉にして書いておこうかなと。

で、ブログなの?

というのはたしかにそうで、別に公開したいとも思わない一方でWordでハードディスクに貯めるのもなんか気が向かないので、なんとなく惰性でここに書くかと。見返してみると2年くらい前に自分が考えてたことって、今とまた違うので正直消し去りたい気もするけど、我慢して残しておこう。

ほんで、このブログにある「読者になるボタン」ってなんなんだろう。通知とか行くのだろうか。まあどちらにせよ、素直になる、ってことの一環だな。その部分では、素直に、優しく、だ。

リソース(資源)は大切に。

日曜から月曜にかけて千葉の方に出かけてきた。ほっとくと何か知ら予定が入ってしまうので、出かける日は早めに決めて空けておかないといけないなと感じた。29日もTokyo Startup Gatewayのプレイベントみたいなやつがあって、少しだけ心惹かれていた。

今週はSkyland Venturesが6日連続でmeetupをやっているようなので空いている日に行ってみたいなと思う。期末で試験とレポートが待っているけれど。


計画性がないのもいけないのだけれど、こういうレポート締め切りの近くとか、試験の近くとかなると、授業終わったら図書館でレポートをひたすら書かなきゃいけなかったり、電車の中でも勉強しなきゃならなくなったりして、自発的な頭の使い方をする余裕がなくなってしまう。

そういう意味で作業、タスクというのは思考停止を生むものだなと思う。それをやっている間はほかのことを何も考えなくてよくなってしまうので。目先の消化すべきことばかりやっていて、じっくり考えるという時間が無くなると、全然頭使えないし、何も成長しない気がする。与えられたものをこなすことで得られる成長はもちろんあると思うけど。

 

だから忙しくてほかのこと考える余裕が全然ないという状態にならずに、適度な余裕を持たないと逆に忙しいだけのバカになってしまいそうだ。自分で頭を動かすことを意識しないとな。

 


最近、就活というワードをよく目にする。僕の高校同期は4年生だし、大学の同期もインターンとか始まる時期である。facebookでも就活の広告が多いし、ほとんど開かないけどtwitterも開くと就活のことを書いている人がいる。

自分も自分の始めた会社でずっとやるのか、それとも卒業したら外で働くのか、まだ決まってない。外に出るとしたら、それは自分が事業をやるための武器を手に入れるために会社で働くということになるので、どんな問題があるのかを探るために病院や薬局で働くか、自分のやりたいことに近いことをやっている会社で学ぶか、といったところかなと思う。

 

ただ、就活というのはやらずに働きたいものだなと思う。働く先を見つけるためにみんなと一緒に、よーいどんで応募して面接受けて、なんて双方にとって非常に無意味な時間の使い方な気がする。就活って社会に対してなにかを提供するわけじゃないので、そんな活動のために毎日毎日時間使って、一緒に働くわけでもない人事の人と評価されるためだけに面接するとか、無駄な時間だなと思ってしまう。そんな時間あったらバイトする方が社会にメリット与えてると思うし、僕は働き口探すためにそんなに時間を使わなきゃならないんだったら自分のやりたいことを自分でやる気がする。会社としても何千枚とかいうエントリーシートを読む時間があったら他にそのリソースさけよ、という感じである。採用のために10人使ってたらそれだけで年間5000万とか使ってることになる。

 

大学4年生になって、試験と面接で採用を決めるとかいう旧時代的な慣習は消えてなくなればいいのになと。平均値として優秀な高学歴の人をバーッと採用して、みたいな時代は終わりを迎えて、個々のばらつきを重視する時代になってきていると思う。就活という制度は明らかに前者の時代に適応したものだと思う。企業は盛んに人材はダイバーシティの時代だとか言いながら、採用では依然として平均値を上げるための制度を取り続けている。そもそも試験とか面接とかは実際仕事に必要な能力を見ることはできず、試験ができてるから仕事もできるだろうという、これまた個人の能力の平均値を見ているに過ぎないのではないか。

 

均一な「優秀そう」な集団を作るのではなく、個々の能力が光る組織にするためには何が必要か?また、その会社にとって必要な、試験の成績ではない一つ一つの能力を見るためにはどうしたらいいか?

 

それはやはり、「一緒に働いてみる」ことに尽きるのではないかな。一週間でも一か月でもアルバイトとして学生がその会社で働いて、そこで一緒に事業をやる中で能力を見たらいいと思う。書類に書いてある志望理由を読んで、面接をして、試験をして、なんてやるよりも、短い期間でも一緒に働いて実際に仕事をする中での能力を見た方が圧倒的に合理的だし、個人個人の、個々の能力を図ることができるはず。それと、なぜ4年生にならないと始めちゃいけないのか。別に働く意欲があるんだったら3年でも1年でもエントリーさせて、バイトとして働いてもらって、評価してもいいんじゃないだろうか。学生としても、職探しの無意味な時間を過ごすことなく、バイトとして稼ぎつつ、会社との相性が見れるし、社会全体で見たら就活より圧倒的にリソースを有効活用していることになる。

 

行政の縦割り問題に対する横断的な組織の設置とか、学部ごとに領域が分かれすぎたことに対する学際的研究の実施とかと似ている。今の状況では、大学と会社に果てしない溝がある。大学は研究者を育てるための機関だったころはそれでもよかったかもしれない(いつの時代だよ)。今は大学に残る人はほんのわずかで、みんな就職していく。その時代にあって、大学は学問的探究の場でありうんぬん、というのは明らかに大学の上の方のおじいさんたちの感覚でしかない。その人たちは確かに大学で研究を学び、それを大学で生かして職業としているからそう思うのだろう。今、大学と会社は領域を融合させていって、大学生のころから働くという形がもっと普及していっていいはずである。そうしないと、大学の教育はいつまでたっても「大学でやった授業なんて一つも覚えてませんね。」といわれ続けるのだ。

企業が個々人のばらつきの部分を重視できるような制度、学生が無意味な活動に一年間従事しなくてもいい制度が広まるといいと思う。なにより、何のプロフィットももたらさない活動に学生・社会が莫大なリソースをさき続けるのは全体にとって大きなマイナスであるはず。

to Cかto Bか

今日は午前中お茶の水でバイトした後、サークルの練習で南大沢にいき、後輩とご飯食べて、飲んで帰ってきた。

 

後輩の進振りの話を聞いていたのだが、結構迷っているようだった。理系は割と分野で学科が分かれているから、これがやりたいと決まると学科が絞りやすいけれど、文系は違う学部でも同じ分野を研究していることが多いので選ぶのが大変とのこと。

 

自分はどうだったかなと振り返ってみると、生物と化学がやりたいなと思っていて、それが勉強できそうな薬学部と理学部生物化学科、工学部化学生命工学科で迷っていたな。その中で、もともと応用として薬がおもしろそうだと思っていたのと、進振り的に行けそうだったことがあって、薬学を選んだな。

 

でも入ってからは、すずかんゼミの医療班で活動し始めたことや、それに伴って医療・ヘルスケアの分野で面白いことをしている人とたくさんお会いしたことがあって、薬学の研究より医療で新しいことを始めたい、医療を変えるようなサービスが作りたいと思って、今の方向に進んでいる。入った当初は薬学で研究がしたかったのに、半年も経つとやりたいことが全然変わるというのは、自分らしいなと思った。そのそもやりたいことや興味の対象がころころ変わるタイプなので、同じものを研究し続ける研究職はあまり自分に向いてないのかなと思う。

 

進振り当初の思いがどうであれ、薬学がバックグラウンドにできたことは、医療で何かするためにはとてもよかったと思う。もちろん医学部とか行けばまた違う世界があったと思うが、今の自分の立場は楽しいと思うし、いろんな人と関わりながら自分にしかできない価値を生んでいきたいなと思う。

 

仕事という点でいうと、大企業に入って大きな組織のone of themとして働くよりも、小さな組織で最良の大きい中で働く方が圧倒的に自分にとってやりがいがあるなと思う。自分がサービスを始める人間となれるのであれば、なおさらだな。人間関係でも、あらぐさみたいな小さい集まりで活動していることもあり、大きな集団の中で大勢とコミュニケーションをとって何かやるよりも、小さい集団で密にコミュニケーション取りながら楽しくやっていく方がずっと好きだと思う。という感じで今の自分には起業とかベンチャーとか、あっているのかなと思う。

 

では、医療でいまのところどういうサービスを作りたいのかなと考えてみる。今のところ僕はto BのBのサイドで働いた経験がないので病院や薬局でどういうニーズがあるのかよくわからない。(だからこそ、資格を取れたら病院や薬局でしばらく働いてみたいとか、喜納さんのところで夏休みにお手伝いさせてもらいたいとか思うのだけれど)そうなると、やはり自分にとって身近なto Cのサービスを頑張りたいかなと思ってしまう。

 

先日のデジタルヘルスラボで「to Cはターゲットのどのセグメントを狙うかが難しい」という話を聞いて、そうなのかーと思ったけれど、でもやはり僕の今持っている問題意識は、「医療のアクセスが良くないために、体調が悪くても医療を受ける余裕がなく、結果的に悪化してしまう」というところにある。これは国レベルでいえば医療費の増加にもつながる。これを解決するストレートな手段としてはやはりアクセスを改善するto Cのサービスを作ることなのかなと思ってしまう。

 

特に薬局が病院に行く前の篩として使われることが国の施策としては期待されているわけだが、今の医薬品小売の業界を見ると、処方箋の調剤を受ける場であり、一般用医薬品は扱っていない調剤薬局と、日用品も含めた安売りに専念し、医薬品販売にもはや力がそそがれていないドラッグストアに分かれる気がする。先日、病院に行ってる暇がないからと皮膚炎の薬を頼まれてドラッグストアでステロイド外用薬を買う機会があったのだが、今のドラッグストアは薬について相談するような雰囲気でもないし、まして患者が処方されている薬と同種の市販薬がどれかを見分けるリテラシーを身に着けることは難しい。

 

セルフメディケーションを本気で達成するためには、病院で処方を受けたときには調剤を受けることができるし、病院に行けないときには今の症状や過去に処方された薬の情報を薬剤師に伝えれば適切な市販薬を勧めてもらえるような、いまの薬局にもドラッグストアにも当てはまらないような、新しい形が必要であると感じている。

 

今日お茶の水を歩いて、薬局もドラッグストアも見たが、どちらも本気で患者の健康を総合的にサポートできる場ではないと感じた。調剤薬局は相変わらず病院からくる処方箋で収益を上げようという雰囲気があるし、ドラッグストアはもはや日用品の店だ。

 

自分としては、こうした薬の小売りの状況を変え、真に患者の健康をサポートするサービスができたらなと思う。それ以外にもアクセスを改善するサービスは色々考えられると思うのでいろいろ考えていきたいが、現在のところ薬のサービスを変えることはやってみたいことだなと思う。

何かとご縁のあるお茶の水

3年くらい前に予備校に通っていたころ非常にお世話になった御茶ノ水であるけれど、巡り巡っていま、とてもご縁のある街になっている。

 

昨日はお茶の水デジタルハリウッド大で行われたデジタルヘルスラボに参加してきた。インターン先の高丸さんが関わっているプロジェクトで、参加したのは2回目くらいかな。ゼミでやっている日本橋プロジェクトととても似たコンセプトで、お茶の水をヘルスケア×ITの街にしようという企画。新しいサービスを考え、特に実装することに重点を置いている企画。

 

前回の五十嵐先生のお話を聞いて、考えているだけじゃなく、サービスを実装してユーザーの反応をみてみることはとても大事だなと感じた。やはり普段、どういうものが求められているかなど、考えることだけで終わってしまうことが多い。実際に作ってリリースしてみて、それで初めてそれが求められているものなのかどうかがわかる。頭で考えて満足し、今は実装する技術や時間がないといって放置するのは逃げなのだなと思った。

 

4月くらいからプログラミングを勉強しているのは、簡単なものを自分で実装できるようになりたいと思ったからだ。自分で作って自分で改善していけたら、きっと実装することもとても楽しいのだろうと思う。

 

昨日、一番心惹かれたのはお茶の水ファーマシーの山口さんのレセプト解析を棚の最適化に使うというアイデアだった。視点がとっても面白いし、そのプログラムをエンジニアに頼まずに自分で実装したというところがまたすごいと思った。

 

山口さんと懇親会でお話して、いつから薬局をやっているのか聞いたらまだ1年たってないくらいだそうで、プログラミングも1年半くらい独学で勉強したとのこと。ecel使うようなもんだから、少し頑張ればできるよといわれて、自分も勉強して自分で開発するようになるぞと思った。

 

今度デジタルヘルスラボの勉強会にも参加させてもらうことになったし、お茶の水界隈の集まりにも参加できるかも。医療で面白い人が集まっていて、こんなにお世話になるとは、浪人してるときには全然思わなかったな。

 

面白い人に会って刺激を受けて、自分も動き続けよう。

医療に革命が起きる時代ーセンス・勇気・情報感度

昨日今日で医療の未来やいま起業するために必要なものは何かといったことを考える機会が多かった。

 

昨日は東大アントレプレナー道場Gunosy創業者の福島さんの話を聞いた。

Gunosyのシステムのことはよくわからなかったが、起業家に必要なものは何かという話は興味が持てた。全部は拾えてないが、気になったものを書いておこうかな。

 

1. センスを磨くこと

   同じ情報やサービスをみても人とは違った観点から考えられるビジネスセンスは必ず生きるとのこと。新しいものを作ろうとするのが起業家なので、確かに必要な考え方だなと。自分も思考停止せずに目に入ったものをいつもと違う見方でみてみるという習慣をつけたい。

 

2. 勇気を持つこと

リーダーに迫られる決断は、どちらが正しいかわからないが、決断をして進まなければいけないというもの。不確実な情報から決断をしなければならない。誰もが正しいと判断できるようになってから決めるのは、判断であり、リーダーに重要な決断とは違う。

うーん、これはとても難しそうだ。実際、自分ももろもろの判断を先延ばしにしてしまう癖があるとよく感じる。よく言われることだが解のある問いに慣れきってしまっているので、確固たる解のない状況でどちらが正しいか考え、決断することができないのかもしれない。

日頃から即断・即決・即行動を心がけて甘えないようにしなければ。

 

3. 情報感度

目まぐるしく状況が変化する時代なので、常に新しい情報に敏感であること、自分のやっている領域の競合のデータが頭に入っているかということは必要。

これまで自分はここがとても弱かったと思う。そんなに医療の最新の事情を知っていたわけではないし、知ろうともしていなかった。pulseに関わったことで、最新の情報を収集するようになり、新しいことに触れる機会が増えた。その点でも、pulseにこのタイミングで関われたことは大きいと思う。

 

 

 

上のような点が印象に残っている。ほかにもいろいろおっしゃっていたとは思うけれど。

 

で、今日は戸塚さんとpulseの打ち合わせ。

医療に産業革命のような革命がここ数年で起きるだろう。その革命のプレーヤーとなる若いイノベーターやイノベーターの卵にいま医療で起こっているわくわくするような出来事を伝えるとともに、医療を変えるべく動いている人に未来の医療がどうなっているかという展望やストーリーを語ってもらうメディアを目指す。

とのことで、とってもわくわくするような話だった。pulseのオフィスが本郷のアントレプレナープラザにあるので僕のいる薬学部棟から走って一分という驚きの立地。SNSの時代における、話題探し→記事化→拡散という新しいメディアの形を作りたいとも言っていた。

講談社を退職してもあんなにエネルギッシュに動き続ける戸塚さんすごいな。まだまだ面白い話がありそうなのでまた話を聞きたいと思った。

 

 

戸塚さんが言うように、医療には革命ともいえる時代がこれからやってくるのだろう。もしやってこなかったとしたら、日本の医療は古い体質のままで、転覆することになるのだから。

 

だったら実際に医療にかかわる立場となる自分はどう生きるべきか。

革命が起きるのなら、革命に巻き込まれる医療者になるのではなく、革命を起こし行く側の医療者にならなければ。漫然と生きていたら、波にのまれて行き場を失うかもしれない。まさに、リスクを取らないことこそがリスクである時代だろう。

これまで医療は資格によって守られた、限られた医療関係者たちの作るクローズドな世界だったと思う。でも、これからは医療は色々な分野の人が参入し、破壊的なイノベーションが起きるのだろう。日本郵政の医療への進出など、他業種の企業が虎視眈々と医療を狙っている。

外界を知らずに過ごし、外のものが流入したときにあっけなく敗北することがないようにするためには、肩書だけでない「自分の力」を持った人として動かなければならないだろう。

 

 

なんか最後の方記事みたいに硬い文章になってしまったけれど、やはり医療は一刻も早く外に目を向けられるようにならないと。内輪で陣取り合戦をやっている間に自分たちの領域はどんどん狭くなっていってしまうはず。

ということで僕も流れに飲まれるのではなく、流れを作るプレーヤーとなることを目指して、日々頑張らねば。

Tokyo Startup Gateway、頑張って書いて選考を通過せねば。

 

体を伝えるメディア「バイオマーカー」

今日はPULSEのサイトにアクセスできるようになったので午前の授業は全く聞かずにPULSEのサイトを見たり、次の記事のネタになりそうな話題を探していた。

 

大手製薬企業がバイオマーカーのデータを共有すると発表したらしく、創薬の加速化への期待ということで書こうかなと。いままでニュースって受動的に流れてくるものを受け取るだけだったのであまり気にしたことなかったけど、自分から情報を探すようになると、医療という狭い領域だけでも一日一日どんどん変革が起きているのだなと感じる。情報感度を高く保たないとあっというまにおいて行かれるような世界だなと。

 

 

ところでやはり、バイオマーカーってのはすごいなと思う。

「医療イノベーションの本質」に、今後は製薬企業の役目として薬の開発よりむしろ検査薬・検査手法の開発が重要視されるようになるだろうと書かれていたが、確かにその通りだと思う。全体としてがん領域以外は薬がかなり出そろっているため、画期的新薬が発見される確率は低くなり、研究開発のコスパは低下していく一方である。というか高血圧や糖尿病にアンメットニーズはもうほとんどないんじゃないだろうか。その点、検査手法はより簡便・安価な遺伝子検査技術やそれこそがんの診断など、今後の開発が期待されているものが多い。

 

検査技術の中でも、特に重要なものにバイオマーカーは入るはず。遺伝子検査が目立っているけれど、新規バイオマーカーの発見は疾患の治療にも研究にも大きな進歩をもたらす。例えば肝機能を測るのにALT/ASTやγ-GTPは不可欠だろう。これらバイオマーカーが発見されてなければ肝機能なんて直感的に測るしかくて、治療法の開発も難しくなる。

認知症もアミロイドβやタウがバイオマーカーとして血中から検出できるようになることで早期介入による治療に希望が生まれてきている。発症より10年とか20年前からバイオマーカーの値が上昇するらしく、そうしたハイリスクというか予備軍の人に対して介入できる可能性がある。心筋梗塞脳梗塞のハイリスク者である脂質異常症に対してスタチンで介入するのと同じように。

 

で、いまどんなバイオマーカーが重要かと言われれば、やはりがんという話になるだろう。肝機能や腎機能など色々なからだの状況がバイオマーカーにより定量的に、化学的に評価できるようになっている中で、がんはいまだに"大きさ"というざっくりした値でしか評価できていない。それに、大きさでしか評価できないから早期発見が困難だったり治療効果が定量的に記述できなかったりするのである。

 

前立腺がんはよいバイオマーカーが発見されたらしく、非常に発見率が高くなったそうで。それは良いことなのだが見つかりすぎて治療しなくてもよいレベルの人まで治療することになって大変だそうだ。

 

そうしたよいバイオマーカーが発見されればがんはもっと早く見つかり、重篤になる前に対処ができるようになるだろう。PETやMRIの会社は小さいがんを発見できるように技術を向上させていくと思うが、製薬企業にはがんばって優秀なバイオマーカーを発見してほしいものである.。

 

今回のバイオマーカーのデータ共有はそういうのとまた違って、体の状態を表すバイオマーカーのデータを共有するということだと思うが。それはそれで薬の開発には役立つだろう。日本の大手三社がまとまってやっと海外の巨大製薬企業と同じくらいの規模になるので、こういう連携を行ったうえでそれぞれが得意な疾患領域で創薬を進めていけたらよいですね。

 

違うことを書くつもりだったのにバイオマーカーのことで終わってしまった。

まあ、起業について思ったこととかは明日にでも。